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Humboldt-Universität zu Berlin - Kultur-, Sozial- und Bildungswissenschaftliche Fakultät - Institut für Asien- und Afrikawissenschaften

記念館のご案内


 

Foto : Gedenktafelブランデンブルグ門とシャリテの中間にあるルイーゼンシュトラーセ39番地の建物の入口の隣に、医師であり作家であった森林太郎 (1862-1922)の記念銘板が取り付けられています。「Mori-Ôgai-Gedenkstätte」の呼び鈴を押して、ブザーが鳴っているあいだにドアを押してください。そして、階段で2階へ上がったら、ドアのところでもう一度ベルを押してください。



 

ベルリンフンボルト大学森鷗外記念館へ、ようこそいらっしゃいました。


 


入口の戸の向かいにある当施設の名前が書かれた書は、1984年に記念館 (当時は記念室)開館に際して著名な書家金子鷗 亭氏より寄贈されたものです。




 

 

 

この入口部分では、記念館の活動の多様性が実感していただけます。ベルリン森鷗外記念館は、日本学研究所とともに、フンボルト大学の日本 文化研究センター(Zentrum für Sprache und Kultur Japans)の施設の一つです。 日本学研究所は、フリードリッヒシュトラーセ方面へ向かって徒歩で10分程 離れた、ヨハニスシュトラーセ10番地に位置しています。記念館の活動 内容は、この日本学科の研究活動とつながっています。森林太郎の遺産に相 応すべく、学術活動の中心を形成している課題が翻訳作業です。そうした ことから、左側のガラス戸棚には森鷗外記念館の日本学術年鑑「ヤポニ カ・フンボルティアーナ」"Japonica Humboldtiana"が陳列されてい ます。また小さな白い冊子 "Kleine Reihe" シリーズは、学生による翻訳を主とした出版物です。
中央の陳列棚には、ヨーロッパの言語による、森林太郎に関する刊行物や鷗外の論文、作品の翻訳などが見られます。これらの作品をデータとして記録 保管することは、記念館の課題の一つです。デジタル「鷗外カタログ」"Ôgai-Katalog によると、1998年までに計 373冊のヨーロッパの各 言語で書かれた森林太郎に関する本や論文が発表されています。こうした学術 活動は「日本文化研究センター年報」 Jahresberichten des Zentrums für Sprache und Kultur Japans" にまとめられています。
机の上には、館内の説明書、記念館の月間プログラム、販売用のパンフレ ット、葉書等が置いてあります。販売物の売上金は、募金箱への寄付金と同じように、翌年の記念館の活動の助成のために使用されます。催し物へ の参加は無料です。

 

それでは、次に記念館の廊下をご案内しましょう。

 

 

比較的狭い廊下に驚かれたのではないでしょうか。皆さんは今、歴史的な場所に立っています。マリエンシュトラーセ32番地とルイーゼンシュト ラーセ39番地のこの角家の2階の部屋の一つに、森林太郎はベルリン時代の最初の2ヵ月間住んでいました。彼が✧40歳の家主シュテルン夫人と、 彼女の 16-17 歳の姪トゥルーデルと共に住んでいたということ以外に、 彼の滞在について詳しいことはほとんど知られていません。この階のどの部屋に彼が住んでいたのかも、はっきりした事はわかっていません。ただ、 同居人のおしゃべり好き、厚かましさが、彼をじきにこの下宿から退散さ せることとなりました。彼の3番目の住居は、森林太郎の処女作であるベルリ ン短編小説「舞姫」の舞台にもなった地域にある、マリーエン教会の隣、 現在の商店街やレストランが並んでいるカールリープクネヒトシュトラーセの裏あたり(現在は駐車場)。残念ながら現在その通りは残っていません。クロスターシュトラーセ は鷗外の時代にはS-Bahnのところまで通っていましたが、今日存在して いるのは、当時の三分の一のみとなっています。その代わり、新しく「ハッ ケッシャー街区」の一部として,2001年から2002年の修復後に燦然と輝きを放っているのは、グローセプレジデンテンシュトラーセ10番(ハ ッケッシェヘーフェの入口の向かい側にある通り)にある森林太郎の 2番目の下宿です。森林太郎は、プロイセン近衛連隊勤務中、そこから徒歩で通って いました。雰囲気としては、ルイーゼンシュトラーセの 39番地の建物が、 鷗外の時代に一番近いでしょう。
長い廊下の両側にかかっている展示板は、森林太郎の伝記やベルリンでの滞在についてより深く知るための手助けをしてくれます。

 

ここでは、森林太郎が1887年におそらくこのように住んでいたのではない かと思われるような、19世紀末の時代を復元して作られた部屋がテーマと なっています。家具は、シャルロッテ・フォン・マ ールスドルフ氏が、1984 年にメルキッシェ博物館を通して提供を申し出てくれました。この部屋は森鷗外記念館の誕生地、そして出発点でした。森林太郎のドイツ到着100周年を機に、1984年10月12日森家の代表者の同席のもと、フンボルト大学の学長によっておご そかに開館式典が行われました。その後、さらなる拡充改築作業が始まり、1989年に現在の面積の森鷗外記念館として開館されました。



勉強机の上方には、森林太郎のデスマスクがかかっていま す。隣の本棚には、鷗外が4年間のドイツ滞在中に読んだ本の一部が展示されています。文化、文学、哲学、 宗教、心理学のテーマに関してだけでも、それらは約 450冊にもなりま す!
 



森林太郎の小説からも彼の最も近しい家族の思い出からも伝えられるように、鷗外はドイツには一度も戻ってこ なかったのですが、終生変わらず朝も夜もドイツ風に洗面器で身体を洗いました。彼は、浴用タオルや手拭いなどをまるで儀式のための道具類のように注意深く扱いました。書籍類にも、同じように丁 寧に接していました。


 

森鷗外記念図書館には日本語とヨーロッパの各言語による、 鷗外の著作、鷗外に関する出版物のほかに明治時代の日本 文学全集、つまり森鷗外の同時代の作家による作品が保管されていま す。この図書館は非公式の学術研究図書館ですが、開館時 間の間は、中を見て回ったり、座って読書をしていただくこともできます。

 


 

 

隣接している展示室には「森鷗外のすべて」のCDの入ったコンピューターと、東京、森林太郎の生誕地津和野、北 九州にある各記念館などの姉妹施設の出版物と資料が置かれています。奥のガラス戸棚には森林太郎の家族からの葉書、ならびに著名な来館者のゲスト ブックへのサインが保管されています。 鷗外のファウストの翻訳等の初版本は、手前のガラス戸棚にあります。


 


向かい側、森林太郎の50歳の頃の肖像画(秋山清水画)の下には、1984年に記念館に譲渡された、森林太郎の直筆書簡3点が展示されています。特に上段の、子供達に当てた手紙に は、いかに鷗外がそれぞれの子供の年齢読解能力に合わせて思いやり深くそれを書いたかがよく表われています。




 

記念館の講演室では、森林太郎の生涯と作品に関する常設展示の他に、特別 展示をご用意しています。特別展示Sonderausstellungen について は、毎月のプログラムProgramm をご覧ください。 月に一度、ここでは学術講演、朗読会、そして小演劇の上演も行われま す。また、この20年間に様々なワークショップやコースもここで開かれました。(書道、華道、茶道コース、将棋、折り紙、着物着付け同好会や能ワークショップ等)この件に関しては、その都度直接当館にお問い合わせ頂くかホームページでご確認下さい。
朝日新聞衛星版も、ここでお読み頂くことができます。


 

記念館館長は、この部屋で来客を迎えます。この一部は茶室風になっており、以前は茶道教室の参加者達が茶道のしきたりや高価な道具の扱い方を練習するために、ここをつかっていました。



 


ソファの側の壁には、金子鷗亭氏による鷗外の詩の書が掛かっています。



 

 

これらの写真に格別興味を持たれた折には、当森鷗外記念館にて、月~金、 午前10時~午後2時までの間、喜んでご質問等に応じたいと存じます。

写真 © : Tobias Buddensieg, Mediaservice HUB; Gedenktafel: Prof. Marumoto Takashi, Waseda-Universität, Tokyo