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Humboldt-Universität zu Berlin - Kultur-, Sozial- und Bildungswissenschaftliche Fakultät - Institut für Asien- und Afrikawissenschaften

ベルリン・フンボルト大学森鷗外記念館の歴史


1965年   6月8日、川端康成(当時日本ペンクラブ会長、後にノーベル文学賞受賞)、丹羽文雄(当時日本小説協会会長)、高見順(近代文学博物館館長)の3氏が旧 東ベルリン市に、ドイツ文学を日本に紹介した森林太郎の功績を称える記念銘版を、森林太郎のベルリンでの最初の下宿(1887年4月から6月)に取り付け てくれるよう書面で要請した

1966年   Marienstr. 32の入口に取り付けられた記念銘版の除幕式(記念銘版は、1988年にLuisenstr. 39の建物第一入口に移される)

1984   10月12日、森林太郎がドイツに到着した100年後を記念し、森鷗外記念室がオープンする。設立には、日本学者ユルゲン・ベルント教授が先頭に立ち、 フンボルト学、DDR-JAPAN文化協会、在東独日本大使館、日本の森鷗外記念会が協力した。式典には、森家の代表と森鷗外記念会の派遣団が参加した。

  

 

 

 

 

 

 

 

右から 
森里子(森真章夫人)
森真章(鷗外の孫、医学士)
小堀四郎(小堀杏奴の夫、画家)
小堀鷗一郎(小堀杏奴・四郎夫妻子弟、医学博士)
小堀杏奴(鷗外の次女、随筆家)
© フンボル大学 写真部 1984年10月

 


1987年   1月13日、中曽根康弘首相(当時)がドイツ訪問の際、森鷗外記念室の見学に訪れる。その後、旧東ドイツ高等教育省が記念館の拡充について決議する

1989年   6月2日 高等教育省の特別費でフンボルト大学建設課の指揮の下、記念室のある2階部分の改築工事終了。フンボルト大学日本学科が森鷗外記念館の建物に移転。森鷗外記念館 日本学科の所在地となり、同時に日本学の講義、研究の場となる。 また、東ドイツの日本関係機関と学術的提携を推進し、さまざまな行事を企画し、翻訳通訳者を育成する過程で、文化交流の機関となる。

1990年   日本で、日本-DDR文化協会と森鷗外記念会が団結協力し、森鷗外記念館維持キャンペーン活動が行われる。この寄付によって、1993年までの記念館の運営基金が調達される。 6月14日、公明党の山田英介代議士は、衆院外務委員会で、記念館存続を援助するよう提案し、中山外相は実情を調べる考えを表明した。 12月、ドイツ日本文化審議会で、記念館の維持が議題に上る。日独両サイドとも記念館維持に賛成する。

1993年   (株)シェーリングAG(本社ベルリン)と日本外務省からの25万マルクの寄付により、財団森鷗外記念基金の設立が実現する。7月、森鷗外記念基金の第1回目の評議委員総会。議長はベルリン学術研究相のマンフレッド・エアハルド教授。 ユルゲン・ベルント教授が財団理事長に任命される。翌月、急死。 その後、日本学科が1階部分に移動。

1994年    日本外務省の指揮の下、記念館の拡充と財団の元資金を増額するため、基金活動が続行される。
チュービンゲン大学日本学科教授クラウス・クラハト氏が故ベルント教授の後任職に就く過程で、大学側とベルリン市に森鷗外記念館を学術的機関として保持し、拡張するよう提案・交渉する。以下にその提案の要旨を記す。

森鷗外記念館は、ベルリン・フンボルト大学に所属する学術的機関となり、特に軍医、学者、小説家、翻訳者でもあった森林太郎人物と功績を引き継ぐような日独間の学術文化的課題を仲介し、紹介する。
森鷗外記念館は、ドイツ市民と日本からの見学者に森林太郎が残した作品、資料を紹介し、利用してもらう。
森鷗外記念館は、森林太郎の生涯と作品及び、彼が日本に影響を与えた文化的な業績を学問的に研究する。
また、主な課題として、日独関係において学術文化的に重要な意義を持つ作品の翻訳、解明、普及に力を入れる。

秋には、ヨハニス通り10番の建物がフンボルト大学日本語及び日本文化センターの本所在地となることが決定する。改築工事は14か月にも及んだ。(投資額320万マルク)

1995年10月   クラハト教授がフンボルト大学日本語学科の主任教授、同時に森鷗外記念館の館長に就任し、森鷗外記念館は新しく設立された日本語及び日本文化センターの 一部となる。また、クラハト教授は財団森鷗外記念基金の理事長となり、評議員総会でも上記のクラハト教授の提案が承認される。
12月、フンボルト大学日本語及び日本文化センターの建物の改築工事が完了し、森鷗外記念館内の日本学科もここに移転し、活動が開始される。
森鷗外記念館の活動は、フンボルト大学とベルリン市が、家賃等基礎維持費、研究部門の助手、文化広報担当員、学生助手の人件費を負担することによって援助されることとなる。

1996年12月4日   ベルリンの日本研究機関発足70周年と日本語及び日本文化センター設立1周年を祝うパーティが開催される。開会演説は、ブルーノ・レビン教授の「ベルリンにおける日本学 - その歴史と展望」。

1997年3月20日   ローマン・ヘルツォーク大統領(当時)が直前に予定された訪日を機に記念館を訪問する。

1999年   フンボルト大学建築課の協力の下、大王製紙株式会社からの寄付で進められた各部屋の改修工事が終り、キャビネット等新しい調度品が備えられる。
日本語及び日本文化センターの設立により、図書室、秘書業務の提携、展示スペースの共有、講義や教員との連結による相乗効果で、記念館の活動の幅が広がる。
森鷗外記念館には年間約3000人の見学者が訪れている。(特別展示会の見学者を除く.)
最新の森鷗外記念館の学術文化活動については、当記念館のホームページをご参照、または直接記念館にお問い合わせ下さい。

2007年    岡村正 (当時株式会社東芝監査役会長) (右から3人目) が 東芝代表役らと東芝国際交流財団役員らと共に森鷗外記念館を訪問する

2008年9月1日   森鷗外記念館、外務大臣表彰を授賞する。

2011年6月22日   皇太子殿下のご訪問

2012年2月17日   森鴎外誕生150年記念式典

2013年10月1日   ハラルト・サロモン博士が森鷗外記念館の館長に就任し、財団森鷗外記念基金の理事長となる。

2014年10月15日   森鷗外記念館30周年記念式典

                     (団体名 敬称略)